天羅地網

天網恢恢疎にして漏らさず

テーマは「愛国」で行きます。

明確な線引きはしませんが、こちらは愛国をテーマにいこうと思います。

もう片方のブログは、いろいろ詰め込んでますが、こちらは再びブログ村に入会した手前、またキッツイ男(GUY)との闘いを派手にやりだすと、同じ轍を踏むことになりますので、色を変えていきます。

よって、キッツイ男は、もう片方のブログで相手します。

変遷はあるとは思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

 

raikou.muragon.com

ところで最近は橋本琴絵さんの記事が、よく目に止まるので、そのままリンクさせて頂きます。

とても共感します。  

 
 
保守主義とは何だろうか。この主義主張を定義した言説は数多くある。しかし、誤謬も多く含まれる。そこで本論は、保守主義を定義するに相当な要素を抽出し、各章ごとにその詳細を論じるものである。
本論を通じ、保守ではないものを保守と呼ぶ誤りを是正し、保守主義が本来的に保ち守るべき基本法を再認識することを以て保守主義の意志と呼ぶことにしたい。
大切なものを保つ守る意志こそ、保守主義である。そこで、最初に意志の定義について述べたい。
 
元来、意志は一つである。多様性ではなく、一元性を基礎にする。
人間の生存と繁栄に資する一切の選択を為すことが意志である。
勿論、意志の実現には理性と経験が必要である。意志のみでは、その意志の実現は不可能だ。それは、これまでの歴史が証明してきた。 だが、意志を欠けば、理性は狂気となり経験は腐敗し、生存の目的さえ果たせないことであろう。それは現在の社会の有り様をみればわかることであろう。
理性と経験とは、意志の原動力によって起動し、有用に働くことか出来る。
では、生存と繁栄に資する選択とは何か。
 
それは、結婚、家族、相続、国家である。 人間の意志はこれらを形成し、維持し、発展させていくことに最大の関心を払う。 しかし、意志無き動物すなわち保守主義の敵はこれらに関心が無く、むしろ本能的に敵対する。 つまり、乱交、家族解体(離婚や子どもの隔離)、相続税市民社会である。
 
保守主義とは、一見すると経験主義的な外観を持つが、その実態は前述した人間の意志である。 この意志を持つ者とこの意志そのものを意志無き者であっても尊重する経験則が広く社会に浸透して慣習となったとき、保守主義は勝利する。
偶然かつ無作為に得た経験を慣習とするのではない。
人間の意志の実現に有用な経験則のみを認め、広く人類社会に妥当して共有される慣習とすることだ。 これらは既に祖先の功績によって築き上げられている。
結婚、家族、相続、国家の観念は、どの地域であっても首肯すべき慣習として確立されている。
 
例えば、トクヴィルが指摘するように、アメリカ合衆国では自由意志を尊重する経験則を社会全体で共有されるべき慣習として確立した。
だが、アメリカに於いて慣習として確立されたことは自由意志の尊重のみである。 然れども、爾来民主主義の確立には成功している。このように意志の慣習化による成功例は、保守主義の確立にも当てはめることが出来ると言えよう。
 
それは、フィヒテが目指したように、教育によって国家観念を学習させ、経験化させることではない。教育により、結婚と家族と相続と国家の何たるかを教えたとしても「家族のふり」といったように可視的かつ外見的な範囲に限られる模倣のみ行われむしろその実態は家庭というカーテンに隠された児童虐待のように陰惨たるものとなる。
 
では、どのようにすれば良いか。
それは保守主義の意志によって、結婚から家族を形成し、そして子孫に相続させ、やがて国家に至る過程を現実の成功例として示すことである。 意志の実現とは何か。 一個人であった男女が結婚して夫婦となり家族となり、その子供達に築き上げた全てを相続させ、その相続を世代交代とともに連続し、最終的には国家を形成した歴史を示し、形而上の意志が形而下での実現された事実を示すことだ。
 
人類の有史以来、現在までこの実現を維持している血筋は世界にたった一つしかない。だからこそ、危険なのである。無数の藩屏がなくてはならないのである。
経験とは可塑性があり、僅か数世代の時間であっても容易に変化する。 従い人間の意志が脆弱化したとき、結婚は乱交となり、家族は離散し、相続されず血統は断絶し、国家は解体される。 そして、人間にとって不都合かつ苛酷な環境が待ち受けている。
これらの危機を乗り越えるために、強く意志を持たなければならない。われわれの生存と繁栄に有用な選択を為さなければならない。
 
この意志の尊重が慣習となり、幾世代にわたって世界に固着したとき、保守主義は完全な勝利を得たといえよう。
だが、この道のりは遠く、そして勝利したとしても、油断によって革命の牙が生じ、瓦解することは歴史が示す通りである。
しかし、意志を強く持ち、理性と経験を伴う意志の勝利を得たならば、私たちを祝福する良き世界を建設できる。 そこには苦痛と苦悩と恐怖はなく、希望と幸福と安心のみがある世界である。
(第一章に続く)