カトリックでは聖人ですが、イグナチオ・デ・ロヨラ神父がイエズス会を設置しました。ところでイエズス会をなぜ設置したのか?
プロテスタントは爆発的に現在、欧州、全ヨーロッパ、全米国、全世界を覆うようになったのですが、プロテスタントを信じたいのなら、二つのことを信じなければなりませんでした。
一番目は、信仰によって救われる。そして、聖書を中心として神様と直接関係することができる。二番目は何か?
教皇はサタンである。これ信じなければなりませんでした。
反キリスト!教皇は反キリストである。
だから、一番有名なマルティン・ルターからすべての、その同時代にいる哲学家と神学者たちが「教皇は、反キリスト、サタンだ。」
カトリックを簡単に言えば「カトリックの指導層はサタンである。」
このように言うのです。これを信じてこそ、プロテスタントなのです。
だから、今現在、プロテスタントはたくさんいなくなりました。
カトリックが彼らを謀略して買ってしまって、そのようにしたからです。
「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」
— こたママ kotamama (@kotamama318) 2023年11月28日
学校やTVで教えてくれない秀吉公の功績の1つ
今こそお志を引き継ぐ時です
「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断
海外連行された被害者はざっと5万人にのぼるhttps://t.co/iwUIowg9pd
秀吉は侵略者と戦ってきましたが、教科書などでは一切触れません。
真の歴史の公表を阻む力が存在するということです。
1596年10月、マニラ港からメキシコを目指していたスペインの豪華貨客船サン・フェリーペ号が台風のため土佐の浦戸湾において座礁沈没した。
現地の大名、長宗我部元親が豊臣秀吉に直ちに報告したところ、秀吉は積み荷を没収することを決め、現地に増田長盛(奉行職)を派遣する。増田奉行は事情聴取の結果、スペインは宣教師を尖兵として送り込み、侵略の手先として広大な版図を手にしたという事実認識を報告した。
秀吉は、スペインに「侵略の下心あり」として、サン・フェリーペ号の事件を契機として、マニラ総督の派遣したフランシスコ会宣教師や、信徒26人を磔(はりつけ)の刑に処す。スペインが、秀吉に対して武力を持って報復しなかったのは、日本の武力が強大であったからである。